高校野球の個人研究

東北地方の高校野球勢力図の変化

東北地方の高校野球の勢力図について、今回は分かりやすい青森県の状況を中心に見てみたいと思う。

高校野球で青森と言えば八戸学院光星、青森山田が2強として君臨している。両校に続くのが、弘前学院聖愛、八戸工大一あたりか。今では甲子園の常連となっている青森の「2強」だが、100年を超える高校野球の歴史で見ると両校が全国の舞台に出てきたのは割と最近の事である。

青森山田が甲子園初出場したのは1993年夏。少し遅れて1997年春に光星学院(現・八戸学院光星)が甲子園初出場を果たした。その1993年以降、青森県から「2強」以外の学校が春夏の甲子園に出場したのは、30年間で僅か6校・延べ8回だけである。

八戸学院光星、青森山田を除く青森勢・初戦の成績(1993年以降)
1994年夏 ●八戸0-4関西
1996年夏 ●弘前実0-6福井商
1998年夏 ●八戸工大一0-4鹿児島実
2010年夏 ○八戸工大一8-4英明
2013年夏 ○弘前学院聖愛6-0玉野光南
2015年夏 ●三沢商3-15花咲徳栄
2021年春 ●八戸西3-8具志川商
2021年夏 ●弘前学院聖愛3-4石見智翠館

その間に、八戸学院光星は春夏計21回甲子園に出場し、32勝21敗、青森山田は12勝13敗である。青森山田が出場する前年の1992年夏までで、青森県勢の春夏甲子園通算成績は、16勝40敗(1分)で勝率.285。そこから31年経過した2023年夏には、55勝72敗で.433にまで上昇した。

また、1997年夏の佐賀商戦で光星学院の山根が打った本塁打は青森県勢初の本塁打。それまで約80年の選抜・選手権大会の歴史の中で、青森県勢45回の出場中1本もなかった本塁打が、その後の2023年春までに、八戸学院光星だけで33本記録されている(青森山田は14本)。

いかに八戸学院光星と青森山田の登場が「青森県の実績」を一変させたかがわかるだろう。両校は専用球場、サブグランウド、室内練習場といった充実した練習環境を持ち、寮もあって青森県内だけでなく関東や関西から入学する選手も多い。そういう環境は、こと東北地方においては実績の差となってはっきり表れてきたと言える。相対的に練習環境が整っていない学校が簡単には太刀打ちできない状況である。

秋季東北大会は青森から毎年3校出場できる。なので、1位と2位を光星と山田に取られたとしてももう1校出場できる。青森大会で優勝できなくても、秋季東北大会を勝ち進めば、選抜だったら甲子園に出場できる可能性はあるのだ。
過去20年ほどの秋季東北大会を見ると、甲子園経験のある弘前学院聖愛や八戸工大一のほかにも、弘前東、東奥義塾、八戸西、青森北、大湊、弘前工、五所川原農林、三沢商、弘前実などが出場している。しかし、残念ながらそこから選抜出場を一般枠として勝ち取った学校はなかった(八戸西が21世紀枠で出場している)。難敵は青森県内だけでなく、東北地区の他県でも練習環境を整えて実力を高めていた。

今回は青森を中心に振り返ってみたが、東北地区の各県は、細かく見るとそれぞれ事情が異なっているが、おおむね常連私立校が制圧している。その東北地区の情勢変化は、やはり各県1990年代後半に起こっている。
八戸学院光星、青森山田だけでなく、1995年夏に盛岡大付(岩手)、1997年夏に酒田南(山形)、2001年夏に聖光学院(福島)と言った、その後甲子園常連となっていく私立校が初出場を果たしている。そういった新興私学の台頭に、旧来から実績があった仙台育英(宮城)、東北(宮城)、花巻東(岩手)、鶴岡東(山形)のような学校も負けずに強化を進めていった。

東北地区から、公立校の選抜初出場は1992年に宮古(岩手)、1995年に清陵情報(福島)、1996年に釜石南(岩手)、1997年に平工(福島)と90年代までは実績があった。新興私立校が台頭しはじめる頃までは、甲子園経験のない学校が十分に渡り合えていた。しかし2000年以降は長らく一般枠で公立校の初出場が出なかった。東北地方では2000年以降、経験値の低い公立校はなかなか常連の私立校の壁を破るのが難しい状況が続いてきた。

ここまで説明してきた、東北地方からは常連私立しか選抜は出てこない、公立校がなかなか通用しないという流れは、実はここ数年で変化しつつあるのではないかという兆しが感じられる。その兆しについては次回、記事にしたいと思う。