宮脇俊三

『宮脇俊三』のおすすめ5冊~鉄道紀行の傑作

鉄道作家として著名な宮脇俊三
初めて読む方や、普段読書をしない方にもお勧めできる代表的な5作とその魅力を紹介します。

宮脇俊三(1926-2003)は、埼玉県川越市生まれ。旧制成城高校から東京帝国大学を経て、中央公論社に入社。編集者として活躍しながら、1977年に国鉄全線完乗を達成。翌1978年に『時刻表2万キロ』で作家デビュー。以降、多数の鉄道紀行を中心とした執筆に入ります。

鉄道旅行の計画から実行までの様子を、詳細、丁寧でありながら軽妙に描かれ、地理や歴史に関する高い教養が、より旅行・鉄道・土地の魅力を高めて伝えてくれます。
数々の受賞を経て、鉄道紀行作家として比肩するものがないほどの名作を残しています。

受賞歴
1978年 第5回日本ノンフィクション賞『時刻表2万キロ』
1978年 第9回新評賞『時刻表2万キロ』
1985年 第13回泉鏡花文学賞『殺意の風景』
1985年 交通文化賞
1992年 第1回JTB紀行文学大賞『韓国・サハリン鉄道紀行』
1999年 第47回菊池寛賞

そんな宮脇俊三の、お勧め作品5冊を紹介します。

1:『時刻表2万キロ』

鉄道ファンである宮脇氏は、「時刻表」の愛読者でもあります。
宮脇氏は、行った事のない都道府県がなくなった事を機に、これまでに乗車した事のある国鉄のキロ数を計算してみます。

1万キロを少し超えており、これは当時の国鉄全線の50%程度でありました。以後、宮脇氏は次第にローカル線にも熱心に乗るようになり、国鉄全線完乗を志すに至ります。

しかしローカル線となるとその地へ赴くだけでも時間と費用と手間がかかる。しかも、乗り残したわずか数キロのローカル線は、一日一往復しかしない路線という事もある。

その国鉄全線完乗=「手間がかかるばかりか馬鹿らしいこと」(本文より)を目指していく内容です。出版社に勤務している宮脇氏は、金曜日の夜、夜行列車で出発して地方のローカル線を乗りつぶしていく事が多いのですが、そこには時刻表と向き合って検討を繰り返していく姿がありました。

越美北線を最優先にして時刻表を種々検討した結果、まず富山発4時54分の神岡行からはじめて、いったん富山に戻り、富山港線往復、高岡から氷見線往復、福井へ回って12時20分発の越美北線九頭竜湖行というスケジュールがようやくできあがった。

本書 第1章 神岡線・富山港線・氷見線・越美北線 より

子供の頃から「時刻表」を見るのが好きだった宮脇氏ですが、国鉄全線完乗を目指そうと思ったのは意外にも遅めでした。それも東京から遠い場所が多い。その非効率な状況と戦う著者の様子も楽しく読む事ができます。そういう時刻表の読解という面が強めの一冊です。

ところどころに鉄道ファン独特の感性があり、鉄道に詳しくない人にとっては難しい考え方が出てきます。「旅客営業キロ」や「貨物専用線」のように定義の理解が難しい言葉もあります。
難しい部分は読み飛ばしても良いでしょう。

2:『最長片道切符の旅』

国鉄全線の完乗を達成し、出版社も退いた宮脇氏。会社勤め中は金曜日の夜から月曜日の朝の範囲内という制限の中で旅行をしてきました。それが会社を辞めて自由になると困ってしまう。時刻表を紐解く楽しみが減殺されている。そこで思いついたのが、「最長片道切符の旅」。

「最長片道切符の旅」とは、簡単に言うと北から南まで、同じ駅を二度通らずに遠回りしながら縦断していく旅行。今でこそ、タレントの関口知宏さんがテレビ番組で挑戦したり、YouTuberの方がその様子を公開されていたりと、鉄道ファンには認知された一種の旅でありますが、「最長片道切符の旅」という旅行もとい切符の買い方を世に知らしめたのは本書であったと言われています。

旅行の部分だけではなく、序章として「最長片道切符」ができるまでの試行錯誤の過程、ルート作成から切符の発券までが書かれている点も興味深いです。

壮大な旅行は、北海道の広尾線広尾駅から始まります。開始直後から、宮脇氏の圧倒的な描写が繰り広げられます。車窓の風景、車内や駅での国鉄職員とのやり取り、宿泊地での様子など一緒に旅行を体験しているようで飽きません。

路線が新規開業したり、廃線になると「最長片道切符」のルートは変化することがあります。2023年6月現在では稚内駅(北海道)~新大村駅(長崎県)が「最長片道切符」のルートとなっています。

3:『増補版 時刻表昭和史』

『増補版 時刻表昭和史』は、宮脇氏自身の体験から、戦前から終戦前後の鉄道事情に触れていく紀行作品です。昭和8年から23年にかけての様子が描かれます。

第1章は昭和8年の山手線。当時の遊び場から見た山手線の様子や、小学1年生になって間もない頃に母に内緒で渋谷駅から代々木駅まで乗車した様子などが描かれます。

第6章は昭和14年の御殿場線。中学1年生の時で、富士の裾野へ軍事教育の野外演習に向かいます。鉄道の要素は比較的少ないものの、当時の演習の様子が記録されています。

そして本書でも出色なのが第13章の米坂線。昭和20年です。第12章でも東京大空襲が描かれて新潟県の村上に疎開する様子が描かれますが、ここでは8月15日、山形県の今泉駅前の広場で玉音放送を聞くことになります。

戦前から戦後直後の頃にかけて、時刻表をもとにして鉄道の歴史をたどっていきます

4:『旅の終りは個室寝台車』

『旅の終りは個室寝台車』は宮脇氏と編集者の10回にわたる旅行の記録です。

宮脇氏が、編集者の「藍君」とともに一風変わった鉄道旅を繰り広げます。5時22分門司発の福知山行(23時51分)という鈍行列車に乗りに行ったり、中央構造線にできる限り沿いながら四国を経由して九州に行った旅行が記録されています。

『旅の終りは個室寝台車』の特徴は「藍君」の存在。鉄道好きの宮脇氏に対して、「クルマ派」という藍君。この藍君と著者の二人旅になっているところが他の宮脇作品にない特徴です。

書名は10章ある旅行のうちの1つであり、寝台列車ばかりという訳ではありません。

5:『汽車旅は地球の果てへ』

いよいよ宮脇氏は海外の鉄道に乗りに出掛けます。

アンデスの高山列車、ケニアの人喰鉄道、スカンジナビアの白夜行列車など、6篇の海外の鉄道紀行の記録です。

中でもペルーのアンデス越えの高山鉄道がなかなか印象的です。ただでさえ地球のほぼ反対側という遠い地で、しかも富士山頂よりも高い場所を走ります。宮脇氏は若いときに肺結核に罹患しており、健康上の問題もありました。

日程表を眺めていた医師は、
「立場上、賛成はできませんが」
と言った。
「行ってはいけませんか」
「いや、そうも言いきれません」
「死ぬ確率が三分の一ぐらいなら行きたいのですが」
これは真剣な質問なのである。医師は苦笑した。

本書 アンデスの高原列車 より

そういう健康面でのリスクとも戦いながらペルーの旅は進んでいきました。
それ以外にも、1980年代の世界の鉄道について興味深く読む事ができます。